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脳内世界地図ミクロ -楡井ズム増刊号-

 
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即興詩篇

『あのひとは縷微をうしなっている』

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 ものすごく遠くから来た人だ。
 毎朝九時きっかりに、公民館の裏側をまわり集積場からなにかを拾っていく。ゆめでお告げを聞いたみたいに、確かになにかがそこにあるということを信じてやまない後ろ姿だ。早番の職員は気がついていた。引き継ぎを受けた前の職員から存在はきいていた。しかし驚いた。ほんとうに、縷微をうしなってしまったんだなああの人は。
 鼠の皮をかぶった帽子掛けのような男は、両手いっぱいに見つけたなにかを抱きしめて、堤防を抜けて去っていくのだった。ふらついたが最後、抱えたなにかをばらまいてしまいかねないすんでのところで、画用紙をすべるクレヨンみたいな足取りは危なげな縺れをみせている。
 駅の、西と東をつなぐ地下通路、午前二時。粉雪がちらつくと、人がだれもいなくなった改札の隣で、ぽっかりと口を開けた地下に通じる穴がある。点った電気のまばゆさから、きっとあそこに入れば暖かな炬燵と、焙茶と、何かしら小腹を満たすつまみまで揃っているにちがいない。ふらりと、まばゆさに影が入り、粉雪のすきまを目を凝らしてみれば、赤いニット帽とマフラーがあって、こちらに背を向けていた。一方には新聞の束、他方には萎びたコンビニの袋を提げて、尾てい骨がわがままで、撓りもない脊髄がつられて垂直に立っている。そんな背筋のまま、穴と対峙している姿があった。時代性も虚飾性すらもない毛玉を結ったようなセーターを着ているから、マネキンではないのだろう。弱ったなあ。西口に出たいんだけどなあ。

 河原の風よけのなかで帽子掛けをみつけるまでぼくは、脳裏で二人を結びつけていた。名前も知らぬ男と女。ぼくが知らないぐらいだから、きっと二人はもっと互いをよく知らないだろう。けれど、ぼくのなかで彼らは密接に絡まりあって、密かにランデヴーをたくらんでいるのだ。ぼくが境目の糸を縛っているあいだに、彼らはどんどん飾り気もなくなって、ひとつの墓標となっていく。墓標が整うほどならまだ足りない。彼らの屍は河に落ちて、悠久の海まで流れ着いた先でも、誰ひとり読み方の知らない異国語の文字となって、跡に残るだけだろう。
 だからあのとき、あの老婆を、ぼくがこの手で地下通路の階段に突き落としたのは、老婆のことを解読するのに屈したわけなどではなくて、ただ通るのに邪魔なだけだったんだ。突き落としたから、ぼくのなかで赤いニット帽は帽子掛けに寄り添うことができるようになったんだ。それは穿った解釈だと、誰かはいうだろう。確かにぼくの行為は、誰にも読めない文字を皆の目から遠ざける方法などではなくて、逆しまに、誰もが縷微をふらずとも《葬巣》と呼ぶことができた老婆から、その肩書を剥奪して、陽の目にさらしてしまう行為なのだった。
 現に、ぼくにさえ老婆がどこの誰だか判ってしまった!

 警察は偉いよ。役所は偉いよ。ぼくらの縷微をコンピュータに閉じ込めるのも可能だろうよ。便利だろうよ。
 でもきっとそいつは読み方を教えてくれるわけではないのだろうよ。ぼくはそう教わった。

 そっと風よけに踏み入り静かに近づくと、毛虫のような無精髭に埋もれて青白い唇があった。ふよふよと溢れている泡は、まして奇妙なクリーム色をしていて、傍らには食べかけの弁当箱があったのだ。公民館のゴミ捨て場に捨てられた残飯には農薬が仕込んであった。ほんとうに鼠駆除の目的のためだよ、なんて言い訳は警察の耳にどう届くのだろうか。それはそれとして、ここに再び人類の始祖である男女が、ふたたびぼくのなかで手を繋ぎ合ったのだ。
 けれど、それを解読できるのはこの世界にぼくしかおらず、代わりにぼくは自らの手を重ね合わせて男の屍を弔った。公民館で働いてもう七、八年経つが、この男の素性なんて知るべくもない。明日の朝にはすべてが明るみに出るだろうが、穏やかな心持ちで居られるだろうか。イヴを喪ったアダムのこと、二人を喪った世界のこと。漫ろに思いめぐらしながら、来るべき業務連絡を待つ。伝えられた縷微を地域住民の台帳から削る。その縷微は河原で見つかった屍のうしなったと思われていた縷微だ。そうしていよいよ引き裂かれた二人に思いを馳せる。また、はたと気がつく。
(形を喪った)彼らにとってはぼくも、そのほかの全員も、縷微の踝にしがみついている空無の器だということを。




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